今回の自動書記に、「諸氏の正鵠な判断に委ねることにする」とありますが、自動書記をはじめ、スピリチュアリズムの教えは、”最後はこちらの意見をすべて否定し、いつも自分を信じなさい “と言います。
信じて学んでいる中で、最後はその教えをすべて否定し、自分を信じろ、というのは、とても難しいことだと思いました。毎回、自分はどう思うのかと、考察していかなければなりません。
りんごを見たときに、「りんごが好き」という人、「りんごにはアレルギーがある」と言う人。
ヨーガのクラスでも、「このポーズは気持ちがいい」という人、「このポーズは少しクラクラする」という人がいるように、同じものでも、みんな自分というフィルターがあるため、答えが違います。
みんなが違うのは当たり前のことですが、私たちは時に心が混乱してしまうことがあるかと思います。
テレビの情報、ネットの情報、本からの情報、学歴がある人、尊敬する人、また科学的に認められていたり、多くの方が同じことを言っていれば、そのままを自分の考えとして、受け入れてしまうことがあります。
自分というものがあるはずなのに、周りに影響されて、分からなくなってしまうのです。
スピリチュアルなことをはじめ、世の中に溢れる情報は、自分探しをするための一つのきっかけであり、フィルターを通していない本来の「自分とは何か」と考えていくことが、生きていく中で大切なことなのだと思います。
「諸氏の正鵠な判断に委ねることにする」とあるように、答えはいつも自分の中にあるのだと思います。