心の指針(四)
心の衝動と変化
筆者は自業自得のつけにより、糖尿病が原因で怪我をしたのが始まりで、数度の入退院を繰り返し死地の間際に赴いたことを三度経験した。
三度目に救急車で病院に担ぎ込まれた時のことであるが、その時点では何ら己自身にとっては意識はなく、救急治療室に運び込まれたことも、付き添いの者が誰であったか全く覚えがなかった。
当時の病院長、外科部長、某知人、妻の話を総合するに、担ぎ込まれて直ぐ付き添ってきた知人に「俺を迎えに来てくれたのか」と言って、身支度をしようとしたそうである。
一般病棟に移された時「此処に何時までいると殺される」と言ったり、「この部屋の半数は医者だ」とか「此処の病院の看護婦は皆注射が下手だ」など、外科部長の前で言ったそうで、後でその話を聞かされ恐縮したことは言うまでもない。
時が経って院長がその部長に己のベットの傍らで「愛人が心配で出歩くと心配だから」と話をしているのがはっきり耳に入り、当初己は誰のことを言っているのか、愛人とは誰のことを言っているのかと思ったがその儘聞き流した。
退院後妻にその話をしたところ、「徘徊されると困るから、早い内に退院させる」と院長は妻に話をしたそうである。そうした状態を一般的には錯乱状態と言っているが、己が取り扱った事例を考査した結果では、何者かの霊が己に一時的に憑依したものと考えられ、取り立てて関心を持つまでに至らず天上に伺わずその儘にして置いた。
かつて近隣のある家庭の二人兄弟の弟が、意味なく兄の腹部を中心に、ナイフで傷つけたことが数度となくあり、仕事も投げやりがちでどうにかならないものかと、某氏が相談に訪れた。
その者を筆者宅に来させて処法を用いたが、元来素直で真面目な人柄であっただけに、元通りに回復したのも早く、仕事にも良く励むようになり、兄に対して傷害行為を起こさなくなった報告を受けた。当時のことについては誰かは分からないが、背後から「やれやれ」と、言わんばかりに己の手が動いてやった気がしていると筆者に語った。
次回は、2022年1月12日(水)「心の指針(四)陵界の掟」についてお話します。