心の指針(一)
心の働き
先にも述べたが、肉体的行動の現実のものと認識している人間には、到底考えは及びつかないことであるが、地球上はもとより遍く宇宙では、天上天主を始め諸々の神の衝動(心の働き)により、宇宙の調和が保たれる仕組みは先に述べた如くである。
人類に宿る心も森羅万象に洩れず、玄学の高度な知識によれば、心とは一つ一つが等しく最も優れ完成された、核の元である素粒子の結合によるものと理解され、宝石に例えるなら原石に等しいと言えるであろう。従って磨かなくては光を発することがないのと同様、人として価値を活かすも、駄目にするのも心を磨くか否かで決定されるものである。
人々の心は、目では捉えることが出来ない天との糸で一人一人が結ばれ、恰も古の物語に出てくる、大空を自由に飛び回ることが出来ないのと同様、多くの人々は自由の持つ意味を誤った解釈をし、加えて我欲を絡ませ己の利になるべく、己の立場での権利を主張している自我の強さが目立つようになった今日、如何にして人々と和を保っていくことが叶うであろうか。人間の自我とは欲望と同じく、人々の心を狂わせる邪鬼そのものである。
人々の心には善もあれば悪もあることは周知のことであるが、天は正邪同一の心は人々が宿すことは許されていない。然し人々の心は千差万別、世の流れに伴って悪もはびこるようになり、人々の良心に訴える以外にはないと言っても、最早人々には抑えが効かない世情の動向、一人一人が正鵠な判断力で、諸事に対応することを余儀なくされる日が、刻々と訪れて来ることを知ることになるであろう。
自然とは天上即ち神々の衝動により創造された、心の働きで統べ治められている仕組みによる摂理であって、自然は古より人類に様々の恵みと教えをもたらし、人々も日々感謝の気持ちを抱いて自然と共存した生活を送ってきた。
然し時代の流れの中人間の頭脳は日進月歩として進化し、千来の心の働きを忘れたかのように、ひたすら肉体的行動を現実として、自我を翻弄し欲望を募らせ、人類の心の礎とも言うべき自然環境を破壊してまで、人々は何を求めようとして来たのであろうか。
昔日のように人々の多くは、暮らし向きに特に余裕はなかったが、心はゆったりとして争い事は好まず、周囲の人々とは親しく心を開いて交流を深めてきた。然し、現在の世情は利己的な風潮が強まり、とかく己の殻に閉じ籠もりがちで、特に都会を中心に心の扉を自ら開こうとする者は目立って少なくなり、現在己は人のためにあると、心の底から考えている人達は幾人いるであろうか。
文明の窓が開かれるにつれて物質文明の波に踊らされ、人としての本来の心を見失ってしまい、自然の恩恵を忘れたかのように、見栄を張って高級品を買い求めるなど、贅沢な生活を送ることが現代の文明人とばかり奢り高ぶり、食べ物に事欠く人々のことを考えない人々の心は、現代社会の悪の温床を育てた根源になっていると言って、誰に憚りがあるであろうか。