【自動書記】陵界の掟 1-15

心の指針(四)
陵界のおきて
語ろうにも語ることが出来ない光が、頭上に輝いて悟りが開かれた仏陀ぶっだ、つまり如来にょらいしたが座臥ざがして背に光を受け修行し、あまねく心生の導きに努力しているのは仏陀の世界である。

諸仏しょぶつは天上に連なる世界の教導を受け、自ら積極的に学び慈愛じあいの中で生を送っている心と言えば、法つまり心の神髄しんずいについて説き、いつくしみをもって人々を助けることを常としている。その願望は何かと言えば、人生を始め広範囲にわたり、哲理てつりもとづいた思いを宿して考えを巡らせ、慈愛の心で諸生しょせい(霊達)を導いている。

心生達は心が安らぎ喜んで修行に励み、歓喜かんきあふれるその有り様と言うものは、俗世ぞくせの人々にはなかなか理解は出来るものではない。心の安らぎこそ何事にもまさるものはなく、すべての人々には心に悩みがあり、悩みのない者は俗界ぞくかいには実在していない。

陵界には各々それぞれ無数の会社が在り、心生は己の心に等しい集団に自ら入って生を過ごしているが、みだりに上界を含めて他の会社に足を踏み入れることは叶わず、そのことは明確に定められているおきてで厳しく守られている。

いわんや上の界に入ることは全く許されず、過去のことを調べて適合の是非ぜひを問われた後、受け入れられて修行を積み重ね、始めて上界に昇ることが許されるのである。

優れた微妙な法を唱えたとしても、正しい心を備えていなかったら、天上の教えを理解することは出来ず、人として真実の心を宿してこそ、直ちに心でとらえることが出来るのであって、如何いかなる方法で想念を交わすことが出来るかといえば、所謂いわゆる互いに心と心が合一した時点で意思が通じ合え、瞬時にして疎通そつうが叶うものである。

心で通じ心に通じないものはなく、同じ心をなついている者に当てめて言える伝心で己の心が相手の心に伝達しなかったとしたなら、己の心には違和感があるからである。

次回は、2022年1月19日(水)「心の指針(四)心と人格」についてお話します。

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