心の指針(四)
心と人格
清浄無垢の汚れが少しもない姿を表わし、芳しい妙なる香、風を身に備えている香料は、俗世の人々には造ることは出来ず、その香りは徳を備えている心を懐いて、優れて完成された自らの心より湧き出た淑やかで清らかな香りである。
従って万人にはその香りを捉えることは出来ず、心を清らかにして始めて尊い心の働きは、己に何を知らしめようとしているのか、身近かにあることを悟るようになろう。それは仏陀如来が示現して自らの心に捉えさせるものであって、心の正しい道に教導して向かわせるためである。
高尚なる人格と言うものは、自らの心より生まれるものであって、徳を備えると言うことは己の心の心自身の問題であり、自らの行いによって徳を備えることは可能であるが、心の隅々まで清く正しく、広く慈しみを懐いて、何事にも理非をはっきりさせる厳しさに徹した心を備えることである。
従って自らの心を求め得られたとしたなら、他人の人格について明暸に捉えられ、幾ら上辺だけを容姿容貌で飾っていようとも、心に秘めていることを察知出来るもので、心とは己を偽ることを隠し通せるものではなく、心は人格を形成している骨子なのである。
次回は、2022年1月26日(水)「心の指針(四)言語の意義」についてお話します。