人の道
お釈迦の求めた道
釈迦牟尼と称される人物、恵まれた家庭環境に育ったが、自分が求めようとする心に相反する道に進むように薦められたために、恵まれた生活環境を捨てることを惜しまず、自分の意志を貫く道に進んだのであった。
その心といえば潔白、世のため人のために決心して、先づ修行のために知識を身に着けるべく仏門に身を委ねた。然し自からが求めようとしている心を求めることができず、自らの意志で浪浪の旅に出た。
時には迫害に、自然の厳しい試練を受けて食べ物にも困り、雷雨に打たれ、又自分の病とたたかいつつ、自分の心を求める道を怠ることがなく、人々に天の意図する人として歩く道、つまり心について伝導を続けた。
世の中の推移を見極める知慧と智勇を備え、心にわだかまりを懐くことがなかった。同人は多くの人に左記のようにも語っている。
「自分の心に何を求めようとしているのか、自らの心に問うことが大切である。皆さんの心は神に通じ、肉眼では見えない糸でつながれているが、そのことが理解できないで、どうして神は皆さんを導くことができるであろうか。」
ある時、お釈迦様が門徒に説話するにあたって、次のことを質問した。
「なぜ人々は人各々の考えが生まれたのか」
すると異口同音に、頭脳の働きに他ならないと答えた。するとお釈迦様は、
「人の心は各々の肉体に宿ったことに他ならない。なぜ心の働きは人間の五体総て関わりのあることが理解できないのか」
と、もらして天を仰いで嘆息した。
次回は、3月2日(水)「人の道 鑑真、孔子の求めた道」についてお話します。