【自動書記】心の実態 1-6

心の指針(二)
心の実態 後編
人々はおのれの心は如何いかなる働きをしているのか認識もしていないのに、どうして心を大事な用語として、一般の認識として多く使用しているのであろうか。そのわれについて解明しようとしている人は、現在幾人いくにんいるであろうか。

己だけが現在に只一人置かれたとしたなら、人間誰一人として地球上で生存することが出来ないことは周知のことであろう。そうした考えより己の姿を振り返り見つめたとしたなら、前にも振れたが人々の対話は如何に大切であるか、今更述べる必要はないことである。己の心では許されないとしながらも、己の思考しこう行動をおさえて、相手の立場になって対応したとしたなら、そこにはお互いの意思の伝達でんたつが計り得られるようになって対話が生まれ、和気あいあいとした環境が築かれるには語るにやぶさかでない。

人々の中には各々おのおの、己に似た同一な考えを抱いているように思いがちであるが、人々の心は千差万別せんさばんべつで色とりどりの視覚しかくを持っているように、明るく清らかで鮮やかな色であっても、少しずつ異なるところがあれば忌避きひするのに等しい色、俗世に例えるなら無芳良色むほうりょうしょくなる花が入り乱れて咲いているように、多くの人々の心はことごと一様いちようではない。

イラクにあるイスラム教シーハ派の発祥はっしょうの聖地ナジャフは、現世では各々の国情こくじょうの自我が露骨ろこつに現れるようになり、争って自然崩壊ほうかいに繋がる愚挙ぐきょに走らせた人々の心は、いくら時の流転るてんの中に左右されているとは言え、欲望や自我の邪心じゃしんが大きく関わってきたことが要因よういんになっていることはいなめない。

自然の崩壊の原因をただすとしたなら、人々の欲望、自我の現れにもとづかないものは一つとしてない。一物いちもつもない己の姿を思い浮かべたとしたなら、どうして外見的に見栄を張り、容姿容貌ようしようぼうを飾り立てることを考える必要があるだろうか。身だしなみを整えることは己自身の身を引き締めるのに必要ではあっても、過度に虚飾きょしょく包容ほうようすることは、心を磨く上では関係がないばかりではなく、己を優位に保たさせようとする、優越ゆうえつ的な思考を心に生まさせる結果になって、自我のおもむまま疑心ぎしん執着しゅうちゃくおごり、高ぶり、人を卑下ひげするなどの邪心じゃしんを自らの心の中に誘い、心本来の正さには勝てなくさせるのであえる。

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