心の指針(三)
心生への旅路
人は現世に生命を授かると、俗世では「生まれれば没するのは浮世の常である」と言われているが、それは宇宙の森羅万象は常に天が用ている、還元の示法に基づいているためである。人々にとっては肉体が滅びると、誰もが通過しなければならない定められた道があり、心の生命体として修行するために、新たな旅立ちをするのが霊界である。
己(心)は暗く何れの方向に進んで行けば良いのか右往左往し、俗世に於ける己の行いの悉くがこと細かく洗い晒しに鏡に映し出され、認めなくてはならないように仕向けられて、反省を否応なしに余儀なくされる仕組みになっている。
俗世での行いの過ちの数々が垢となって心に刻まれ、それを振り落とさなければならず、大なり小なりの苦しみに苛まされるのが常で、死ねば直ぐ天国に行けると思っていたとしらなら、大きな誤りであると言っても過言ではない。従って心底より己の過ちを悔悟し、心の垢を払拭するように努力したなら、修行の道に入るのに苦しまなくて済むようになるものである。人々の多く霊界についての認識には乏しく、敢えて関心を持たないようにしている向きさえあるが、人として邪な考えを備えたり、非人道的な行いをしていない限り、霊界について忌避すべき問題はなく、俗世の人なら誰でも辿らなければならない道程であって、俗世に生存中、多少なりとも知って置けば、何かと役立つことになるであろう。
多くの人は心生の世界(霊界)の話しをすると忌避する嫌いがあるのは、人々にとっては肉眼で確かめることが不可能な未知なる問題であり、少なからず死を恐れる思考が、脳裏に刻み込まれているためと言えないだろうか。
心生の世界(霊界)について、一般的事項については差し控えることにして、人々の心は如何なる道に赴くことになるのか心象面より記述することにした。
次回は、12月15日(水)「心の指針(三)心の赴く道」についてお話します。