心の指針(二)
人の道と心
人の守るべき五つの教えを孔子は人々に説明しても、多くの人達は概ねの意味の骨子を弁えていても、その深い意味に含まれている行いとは如何なるものであるのか、己等の心では理解が出来ず、己の思考はどうして頭に湧き出るのか理解出来る者はいなかった。無意味な諸行をしないように心掛けても、総ての考え行いは、己自身の心の働きによるものであることが理解出来ず、己自身の心はどうして天上から与えられたのか、考えて見ようとする者は殆どいなかったと聞いている。
過去天上から心について多くの数学者を、俗世に遣わされても、釈迦の如く、孔子の如く、イエスの如く、心の扉を開いた人としての道について、懇切丁寧に伝導しても、人々は数学者の教えは尊いものとして畏敬の念を抱いていたが、人々の多くは己達の心に受け入れられず、徒党を組み日常生活を通じて、己達なりに考えて行動していたが、孔子は人々と仲の良い交わりを続けていたが、決して集団を結成するようなことはしなかった。
自然の恵みに感謝する心は礼に繋がり、父母に対して感謝すると同時に、人に対して思いやりを懐くようになるし、夫婦間でもお互いに信じ、立場を尊重して理解し合って、夫婦とは空気のようなものとも言われているように、ツーと言えばカーと言った言葉が跳ね返ってくるように、一概に語ることが出来ない心の温もりが夫婦間に生まれるものである。
一般的に人々は心の尊さを漠然とながら知っていても、心とは如何なる働きをしているものか理解しようとせず、一度事が生じてから悩み苦しみを体験して、はじめて心の大切さを知る多くの人々、火事の急場に水を遠方より運んでくるのに等しいと言えるであろう。
その場その場をやり過ごそうとする、余りにも安易で刹那的な思考を備えていたとしたなら、小猿が鵞鳥の卵の大きさに取って運ぶのに苦労するのと同様、普段心の尊さを己の去就に当て嵌め、人としての行いの踏み行う道とは如何なるものか理解し、実行に移さなかったならば、必ず後悔しても遅いことを身に覚えることになるであろう。