【自動書記】人の道と心 1-7

心の指針(二)
人の道と心
人の守るべき五つの教えを孔子こうしは人々に説明しても、多くの人達はおおむねの意味の骨子こっしわきまえていても、その深い意味にふくまれている行いとは如何いかなるものであるのか、おのれ等の心では理解が出来ず、己の思考はどうして頭にき出るのか理解出来る者はいなかった。無意味な諸行しょぎょうをしないように心掛けても、すべての考え行いは、己自身の心の働きによるものであることが理解出来ず、己自身の心はどうして天上から与えられたのか、考えて見ようとする者はほとんどいなかったと聞いている。

過去天上から心について多くの数学者を、俗世ぞくせつかわされても、釈迦しゃかごとく、孔子こうしの如く、イエスの如く、心の扉を開いた人としての道について、懇切こんせつ丁寧ていねい伝導でんどうしても、人々は数学者の教えはとうといものとして畏敬いけいねんを抱いていたが、人々の多くはおのれ達の心に受け入れられず、徒党ととうを組み日常生活を通じて、己達なりに考えて行動していたが、孔子は人々と仲の良い交わりを続けていたが、決して集団を結成するようなことはしなかった。

自然の恵みに感謝する心はれいつながり、父母に対して感謝すると同時に、人に対して思いやりをなつくようになるし、夫婦間でもお互いに信じ、立場を尊重して理解し合って、夫婦とは空気のようなものとも言われているように、ツーと言えばカーと言った言葉が跳ね返ってくるように、一概いちがいに語ることが出来ない心のぬくもりが夫婦間に生まれるものである。

一般的に人々は心の尊さを漠然ばくぜんとながら知っていても、心とは如何いかなる働きをしているものか理解しようとせず、一度ことしょうじてから悩み苦しみを体験して、はじめて心の大切さを知る多くの人々、火事の急場きゅうばに水を遠方とおほうより運んでくるのに等しいと言えるであろう。

その場その場をやり過ごそうとする、余りにも安易あんい刹那せつな的な思考をそなえていたとしたなら、小猿こざる鵞鳥がちょうの卵の大きさに取って運ぶのに苦労するのと同様、普段心の尊さを己の去就きょしゅうに当てめ、人としての行いの踏み行う道とは如何なるものか理解し、実行に移さなかったならば、必ず後悔しても遅いことを身に覚えることになるであろう。


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