心の指針(二)
自然と人類
大河の流れは洋々として大海に入っているように、その水源はどうなっているのか深く考えたなら、俗世の認識は総て一様に、時の流れの中にある自然の営みであると解釈することが出来るが、その水流は何故延々として続いているのであろうか。人々は己の心に当て嵌めて考えている人は、先ずいないと言っても憚りはないであろう。
人類誕生の謎について解き明かすことに、徒に学識を量ることを重ねたとしても叶わないことであって、それより何故己達が俗世に生存しているのか、振り返って考え研究することが大切ではないだろうか。
自然は慈母の如く大きな胸の中に人々を抱き、いろいろな教訓を授けて見守り、時には厳しく様々な現象をもたらしながら人々の心を育んできたが、人々は自然の恩恵に振り返って考えて見るどころか、己達の自我欲望を剥き出しにして、自然の破壊に繋がる環境汚染を続行して、どうして自然の恵みに背を向けているのであろうか、その見返りが求められたとしても、人々には誰が異議を申し立てが出来るであろうか。
人々の多くは己達の健康管理に様々の方法で取り組んでいるが、どうして次から次へと原因不明の病が発生しているのか、人々にはその論拠を得るのは程遠いと言えるであろう。一般的の知識では環境汚染が、時々の変形した自然現象の発生が原因と言われているが、天が定めている還元に基づく、地球の流転によるためであると考えることが妥当である。
多くの人々にとっては心眼が備わっていないこともあって、様々な自然現象の発生の時期・規模など予知することが不可能であるため、筆者が天上との想念により示達された、ごく一部について参考までに付記するが、世の中は暗迷な道へと進み経済状況の回復は望むことは出来なくなり、干ばつ洪水は世界各地に格差格差断片として増大し、ノアの方舟の再来は何時訪れても何ら不思議でない、世を迎えることになるであろう。