【自動書記】空海の求めた道 2-4

人の道
空海くうかいの求めた道
時の人となりその生涯を終えた空海こと弘法大師こうぼうだいし、仏僧の中にあって卓越たくえつした知能、見識けんしきを備えた人物で、自らの道を求めて、過酷かこくともいえる人生を歩いた。その人物の心をどのように伝えたらよいかと言えば、身を清め心を磨くにあたって、自分自身に克つために自らを責め、天に即心そくしんして意志強固きょうこ、他者に真似ができない強靭きょうじんな心を貫き通した。

とうに渡って幾十年、自分が求める道に研鑽けんさん、ついに自分の境地を開いて心を磨くため、ある時は天を仰いで教えをい、黙々と静寂の中、日々の行いを省みて軽薄けいはく挙動きょどうは用いなかった。また仏陀ぶっだの導きに従い、天上に如何いかにして身をしょしたらよいのか、問いかけてきたこともあったといわれる。

多くの人々には、空海の意とするおもむき、行いについて、定かに理解するのに難しい点があると思われるので記述するが、子供の頃よりもの心がつき始め、数学に関心を寄せていた。しかし自分の考えと違った道を与えられ、自分の意志に反し仏門ぶつもんに入る結果となった。

同僧の仲間の多くは我欲がよくに走ったが、空海はそれ等の者達とは反対に、身をつつしんで自らの道を求めるべく、自からの身を天にゆだねていたことは何人も知らない。それは我みささぎすなわち天上だけが知っていることであって、俗世では同僧についてさまざまに脚色きゃくしょくして伝わっているが、時には心が荒れて乱れたことが数回あったが、自分自身で邪心じゃしんを払い除け、清明潔白せいめいけっぱくな心を持ち続けていたと聞きおよんでいる。

空海は門弟もんていの僧侶達に、
「人は皆、天より平等に生命を授かっているが、人格が各々異なっているのはどうしてであろうか」と質問したが、その問いに答へられる者はいなかった。

又空海は
「自分等は仏門ぶつもんに身を置いているが、仏教は天地自然の教えであると考えるべきである。世の中にはさまざまな宗教があるが、教義は一つである。疑問に思う点が生まれたなら、自分の心に問い、よく考えるとよい。人は人を教導することがあるといっても、自分の考えが入ることが常である。お釈迦様とて、自分の心を省みることを忘れることがなかった、と聞いている」と説いている。


次回は、3月16日(水)「人の道 道元と本覚(あじゃり)の求めた道」についてお話します。


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