【自動書記】鑑真、孔子の求めた道 2-3

人の道
鑑真がんじん孔子こうしの求めた道

気高くして品位を保ち、無名の中に自分の姿を俗界に没した鑑真がんじん(唐の学僧)の心を理解しようとしても、その心は人々には理解することはできない。

そのあじゃりの修業の目的はなんであったのか、それは自分の心の悟りを求めるのに他意はなかった。俗世に生存中、自らの考えのすべては、天地自然(地球)にもたらされている法にのっとらないものはないと思い、天があって自分の生活を保つことができると考えていた。

又自然の恵みがなかったなら、自分は現世に生存して修行ができないことを知り、自然と共に生活を送り、多くの人々に仏法を通じて、自然の尊さとその仕組みについて伝導、天が用いている法を備えるべく修行に時を過ごした。

このあじゃりこと鑑真がんじんは、生国しょうこくの中国を離れるにあたり、失明にもかかわらず苦難を乗り越えて来日したことは周知の通り、異国の地で生涯を送り、仏教を通じて多くの人々に心の眼識がんしきを開化する伝導を行い、その生涯を閉じたことは、天のみが知っている。

孔子は門徒もんとに質問した。

「過去、未来、現在とは何を意味しているのか。その根幹こんかん諸法しょほうがあって我らが生存しているのである。どうして自然の教えに基づいた考えを用いないのか」と。

門徒の考えの誤りについて指摘し、論したことがあった。

人々に心が備わっていないとしたなら、喜怒哀楽はどうして人間の頭脳にうまれるのか。長い時間を用いることは、時間の浪費につながるし、要領を得ないことが多々あり、瞬時に自分の考えを伝えようとするなら、心の働きを置いて他にはないなど、心の働きを含めて、人としての歩く道について説いていた。



次回は、3月9日(水)「人の道 空海の求めた道」についてお話します。

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