人の道
仏教
ここに天から人々に対しての示達に基づき警象の意味を以って記述する。
地球上の自然環境を含む人類を始めとする万物は、天上の神々の心を突き動かす衝動によって創生され、そして幾度となく生まれては消滅する流転が繰り返されて、永い年月を経て今日に至っている。
仏教の修行に身を置いている多くの僧侶は、天が用いる天地自然の教えを認識しておらず、断片化された教えだけが残され、自らの責任を忘れるごとき振る舞いは、最早如何ともし難い末世の兆候を現している。
自然界にもたらされている天の示法に従心し、自分たちの日常の行いを省りみたなら、私権を乱用することは許されるべきでなく、多くの人々に、仏教を通じて法とは如何なるものか、自らの身を正し、人としての道を説くに相応しい心を備えて然るべきである。
徒に読経をして泉界に旅立った人の冥福を祈ったとしても、自らの心が通じるにはほど遠く、自分の欲望を消滅することが出来ないで、何事が出来得るであろうか。
徳とは即ち法を司る上での厚い心の現れであり、慈愛の心の悟りより生まれるもので、かならずしも人徳に非らず、人各々の身に備わった心より発する光と法力である。
未来に明るさのない今日の世、人々は心の育成をはかることを忘れているかのごとく、人の道を離れた道を歩いている人々が多い。さながら人の心を無視しているかのごとく、自分勝手な言動を先行して自我欲望の虜となり、人間として恥じるような行いをしている。
世の中の還元に伴い、平穏な時代に戻るべく神化を願ったとしても、人々自らの重い責の償いを、自から求めるような仕組みは避けられない。天が定めている還元による流れの中、地球上の東西南北の四方を問わず、人々が経験したことのない超常現象がもたらされることを、一応心にとどめて置かれるとよい。
澄雲
1923年2月14日 − 2007年12月14日
次回は、2022年2月23日(水)「人の道 お釈迦の求めた道」についてお話します。