【自動書記】人の道 仏教 2-1

人の道
仏教
ここに天から人々に対しての示達じたつに基づき警象の意味をって記述する。

地球上の自然環境を含む人類を始めとする万物ばんぶつは、天上の神々の心を突き動かす衝動によって創生そうせいされ、そして幾度いくどとなく生まれては消滅する流転るてんが繰り返されて、永い年月をて今日に至っている。

仏教の修行に身を置いている多くの僧侶は、天が用いる天地自然の教えを認識しておらず、断片化された教えだけが残され、自らの責任を忘れるごとき振る舞いは、最早もはや如何いかんともしがた末世まっせ兆候ちょうこうを現している。

自然界にもたらされている天の示法じほう従心じゅうしんし、自分たちの日常の行いをかえりみたなら、私権しけんを乱用することは許されるべきでなく、多くの人々に、仏教を通じて法とは如何いかなるものか、自らの身を正し、人としての道を説くに相応ふさわしい心を備えてしかるべきである。

いたずら読経どっきょうをして泉界せんかいに旅立った人の冥福めいふくを祈ったとしても、自らの心が通じるにはほど遠く、自分の欲望を消滅することが出来ないで、何事が出来得るであろうか。

とくとはすなわち法をつかさどる上での厚い心の現れであり、慈愛じあいの心の悟りより生まれるもので、かならずしも人徳じんとくらず、人各々おのおのの身に備わった心より発する光と法力ほうりきである。

未来に明るさのない今日の世、人々は心の育成をはかることを忘れているかのごとく、人の道を離れた道を歩いている人々が多い。さながら人の心を無視しているかのごとく、自分勝手な言動を先行して自我欲望のとりことなり、人間として恥じるような行いをしている。

世の中の還元かんげんに伴い、平穏な時代に戻るべく神化を願ったとしても、人々自らの重いせめつぐないを、自から求めるような仕組みは避けられない。天が定めている還元かんげんによる流れの中、地球上の東西南北の四方を問わず、人々が経験したことのない超常現象がもたらされることを、一応心にとどめて置かれるとよい。

澄雲とううん

1923年2月14日 − 2007年12月14日


次回は、2022年2月23日(水)「人の道 お釈迦の求めた道」についてお話します。

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