6〜7年ベジタリアンだったことがありますが、やめた理由は、命は平等だと思ったからです。
ベジタリアンをはじめたきっかけは、吉祥寺のスーパーの魚売り場から、魚の声が聞こえたことでした。苦しそうな声が聞こえましたが、一緒にいた家族には聞こえなかったようで、気のせいかなと思い、あまり気には止めませんでした。
その後、今度は自宅の冷蔵庫の中にあったお肉からも同じように苦しい声が聞こえ、これは何かおかしいと思い、肉や魚を食べない人っているのかなと調べていた所、ベジタリアンやヴィーガン、、他にも色んなこだわりを持って活動をしている方がいることを知りました。
その当時は、スーパーの魚やお肉コーナー、外の焼肉屋さんの前などを通ると、苦しみの念が伝わり、食べることを避けていました。
しかし、スリランカの文化に触れる機会があり、食べ物を選べるのは、日本の裕福な環境にいたからと言うことと、日本に帰ってきてから、カボチャが「そっちから切るんじゃなくて、こっちから切るんだよ!」と教えてくれたことで、野菜も生きてたんだ!と当たり前のことかもしれませんが、やっと気づくことができ、ベジタリアンをやめました。
魚や肉は可哀想で、野菜はいい、と決めつけ、自分はなんて勝手だったのだろうと思いました。
当時はこんなこと言うとびっくりされるから、人に言わない方がいいよ、と家族から言われていましたが、今はそんなことをお仕事にしてしまったので、解禁でいいかな〜♪と思いました。
最近は、やっと自分を表現できるようになり、今まで自分がいた世界が狭すぎただけなのだと思いました。
命に差異はないと思い、今は何でも有り難くいただいています。

