心の指針(一)
天と人類
尊厳無比としか述べる言葉が見当たらない、天上天主を始めとする、神々が定められた法の仕組みにより、宏大無辺の宇宙遍く支配されている営みについては、人類には遥かに次元を超越した未知な問題と言っても差し支えはない。
宇宙の調和は、天が定めている法に基づいている窮理とも言うべき象により、宇宙隈なく様々の衝動を現している意図については、一概に述べることが不可能で計り知ることが出来ない、厳かで崇高この上もない心による営みに他ならない。
無限なる宇宙には数多くの惑星、星の群れの集団が無数に存在して点滅を繰り返し、永遠の輝きを保っている星もあれば、流星の如く滅び去っていく星もある。また惑星の中には地球上の人類より、遥に優れた高度の知能を備えている生物が存在している。
肉体的働きによって、結果が求め得られることを現実として、認識している俗世の人々にとっては誠に信じ難いことであるが、地球上を含む宇宙の森羅万象は一つとして、天上の神々の衝動による、心の働きに関わりのないものは一つとして存在しない。
そうした知識がなくして、人々は自我と欲望により開発した科学に優ものはないと、自惚れを抱いているが、宇宙の一つの惑星の玄学にも劣っていることを弁えず、己等の視覚で捉えられない未知なる分野の探究をせずに、如何にして高度の知識を備えていると言えるであろうか。湖水の小魚大海の鯨を知らぬ例えに等しいものである。
人々は己の肉眼で確かめることが出来ないからと言って、空気同様に人間にとって掛けがえなく尊い心の働きを、如何にして蔑ろに考えているのか疑義怪々、真剣になって心の働きを解明しようとはしないのは何故であろうか。
生命本能の本質的働きで、自然環境の中で生存している諸生物と異なり、人間の肉体に心が宿っていればこそ人間としての価値観が備わっているが、若し心が人間の肉体より離脱したとしたなら、肉体は単に死骸となって滅び行くだけである。
では何故人間の肉体には、心が宿るように仕組まれているのであろうか。
宇宙は言葉を変えて言えば、心生(心の生命体)の働きを全てとしており、天上では宇宙の調和を維持していくためには絶対数の心生が足りず、そのために天の意に適った者(心生)を選び求める観点に立って、敢えて汚れの多い俗世で、人各々に宿る心が体を通じて修行し易いように、自然環境が整った地球上を、試練の場として人類に与えているのである。
天上では人間の行動のみならず考えていることの全てを把握し、例え山の頂上より落ちる一塊の岩石であろうとも、宇宙のありとあらゆる万物の働き一つとして、捉えていないものはないのである。