9月9日(土)満福寺ヨーガ教室

寺ヨーガ教室では毎回、最後の5分ほど本読みとお話をしています。
読んでいる本は仏教や禅の教えが書かれたもので、その内容にヨーガ哲学や私の経験や考えを交えた感想を付け加えてお伝えしています。

昨日、9月9日(土)の教室でお話したものを、こちらでも紹介します。
次回の教室は来週の9月13日(水)で、こちらの教室を最後に満福寺ヨーガ教室は長期お休みとさせて頂きます。
最後の教室でみなさんにお会いできることを楽しみにしています。

【本読み内容】

「一を以(も)って之(こ)れを貫(つらぬ)く」
『みちしるべ正命』pp.10-14

「一を貫く」ということは、「忠(ちゅう)」と「怨(じょ)」を貫くということです。忠というのは教えに忠実であるということ。また、その教えをすっぽりと受け止めた自分に忠実であるということ。怨とは思いやりの心のこと。他人の気持ちをおしはかって心を一つにするということです。
これは難題中の難題です。「人の道はこうあるべきだ」と思ったらそれを終生(しゅうせい)貫くというのですから、よほどの「決定心(けつじょうしん)」(ひるまない心)がなければなりません。
ところが、ここに問題が一つあります。それは、いかに「ひるまない心」があったとしても、人は生きているかぎり、突如「非風(ひふう)」に遭うことがあります。思いもしない不運の風にあおられると、貫きたいと思っても貫けないことがあるのです。病気やら事故やら天災やらがそれでしょう。その風は前ぶれなく吹いてきますから、進もうとする道を大きくさまたげます。そんなときどうしたらいいのか、そこが問題なのです。
心を落ち着けて、非風を受けとめ、しばし非風にあおられながらも、「投げないで信念を貫く」ということ。どんな世界に置かれても道は貫けるという信念を持つよりほかはありません。「投げない、あきらめない、離れない」、この思いががあるだけでも、「一を貫いて」生きていることになるでしょう。
あるとき、中学三年生の森田佳代子さんから次の詩が送られてきました。

おそろしいこと 森田佳代子

困難にぶつかることよりも
人にうらぎられることよりも
つらいことよりも
悲しいことよりも
苦しいことよりも
もっとおそろしいのは
あきらめてしまうこと
そこですべてが終わってしまうから……

最後にきてギャフンとさせられます。本当に、あきらめてしまったら、そこですべてが終わってしまうのです。「貫く」ということは「あきらめないこと」でもあります。
教えを大切に、思いやりの心を、生きているかぎり貫いてゆく、この信念を持ち続けていきたいものです。「一を以って之れを貫く」、心の深いところに納めておきたい言葉です。

【感想】
私はしばらく体調を崩し、毎日横になりながら過ごしていました。私はヨーガによって回復した経験を通じて、ヨーガで多くのお方のお役にたちたいと願っていましたが、思い返せば私は毎年一度や二度は体調を崩しており、今回も体調を崩したことで、自分はこういう体だと受け入れて、これからは今の自分にできる範囲でやろうと考えていました。しかし、そのように決めつけてしまっては、自分の将来のより大きな可能性を諦めてしまうことになると思います。お話にあるように、時には非風に遭うこともあると思いますが、思いを持ち続け、諦めることなく道を進んでいくことが大切だと思います。そうする中で、その時は非風に思えたことも、あとで振り返れば自分を後押ししてくれたありがたい追い風だったと感じられるのだと思います。

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