自己愛によって、周りから自分勝手だと思われてしまうこともあるかと思いますが、この2つには大きな違いがあるかと思います。
自己愛とは、自分を労わること。
自分勝手とは、自分を粗末に扱うことです。
自己愛が自分勝手に写るときは、自分の愛し方を間違え、愛が枯渇しているからだと思います。
自分を愛していくための方法は、ものや食べ物、お金、地位や名誉、学歴などでは埋められるものではなく、ものに触れる「心の動機」が大事です。
ものを愛に変えるのか、ものをモノの価値だけで終わらせてしまうのかは、自分の心によるものです。
人から「凄い、カッコいい、羨ましい、憧れる」と思われたいためなのか。
人に自慢するためではなく、自分の幸せのためにしたものなのかと。
前者は、他者からの目でものを見ていますので、自分への愛ではありませんが、後者は、人からの評価を気にすることなく、自分だけを見ていますので、自己愛につながります。
究極、この世界に自分しか存在しなくなったときに、それを欲するかと考えると、日常で如何に人の目を気にして生きているのかと言うことが分かるかと思います。
もの、食べ物、住む家、乗る車、着るもの、身につけているものなどです。
人間はひとりでは生きていけませんので、周りからの視点をゼロにすることは難しいですが、自分への愛を確認する方法として、考えてみるのも良いかと思います。
そして、自分への愛が満たされてきた方は、自然と周りを思いやり、人への奉仕へと心が向かっていきますので、怠惰になることもなく、自分勝手には写らないものかと思います。
このような行動を「スピリチュアライズ(心の浄化)」とも言いますが、スピリチュアリズムの講座の中では、第6回目の講義で詳しくお話させていただきます。
