本読み・すべてのものは心によって作られる

 2020年8月17・22日の満福寺ヨーガ教室では、「すべてのものは心によって作られる」というお話に私の感想を加えてお話をさせていただきました。
(出典:『新々みちしるべ』pp.35-39)

 私たちは生まれてこの方、さまざまな知識や経験を身につける中で、いつの間にか、人生とはこういうものだ、世界とはこういうものだという、自分なりの考えを作り上げて生きています。しかし、それは一つの見方に過ぎないのであって、視点を変えて見れば世界はまったく違ったものとなるということには、なかなか気づけません。

 表題の聖句は、『楞伽経(りょうがきょう)』という経典から採られた言葉で、そこには、迷いもさとりも心から現われ、すべてのものは心によって作られる。ちょうど手品師が、いろいろなものを自由に現わすようなものである。

 人の心の変化には限りがなく、そのはたらきにも限りがない。汚れた心からは汚れた世界が現われ、清らかな心からは清らかな世界が現れるから、外界の変化にも限りがない。

 絵は絵師によって描かれ、外界は心によって作られる。仏の作る世界は、煩悩(ぼんのう)を離れて清らかであり、人の作る世界は煩悩によって汚れている。と記されています。ここに示されているのは、「私たちの住んでいる世界は、客観的な容器のようなものとして感得(かんとく)せられているに過ぎない」ということです。

 仏教が求めているのは「転迷開悟(てんめいかいご)」すなわち、迷いの世界を離れて悟りの世界に至ろうというのが仏教の大原則なのですが、それは「迷いの世界」と異なる「悟りの世界」がどこかにあって、そこに出かけていくということではありません。

 身勝手な思いにとらわれて、自分の思いが満たされると有頂天になり、思い通りにいかなくなるとイライラして他人を責め、愚痴(ぐち)をこぼしながら生きている。そういう堂々めぐりの状態を迷いの世界というのです。その迷いを「転」じるというのは、迷いが消滅するという意味ではなく、ものの見方が転換するということです。仏の教えを学ぶことによって、迷いを作り出していたのは自分自身の心であったことに気づく時、その身勝手な自分を包んでいる大きな恵みの世界を感じる眼が開けてくるのでしょう。

 弘法大師(こうぼうだいし)(空海=真言宗の開祖・八三五年寂)は著された『般若心経秘鍵(はんにゃしんぎょうひけん)という書物の中で、
仏教が指し示す真理は、自分の外に向かって求めていくのではなく、私たち自身の心のありようの中にあるとお示しなられました。だから、さとりへの道は、外の世界を見ている自分の心に、目を向けることから始まるのです。

(感想)
 お話にあるように、自分の心が世界をどう見ているかを知ることが大切です。自分の心が外に向き、周りにあるものや現象が自分の世界を作っていると思ううちは、心が満たされることはありません。なぜなら、どんなに良いもの手に入れても、どんなに良いことが起きても、さらに次を求めてしまうからです。周りの人やものを通じて心を満たそうとするのではなく、それらがない状態になった時、自分の心は何を求め、どうしたら豊かになるのかと、自分の心を知ることが大事です。そうすることで、自分の周りのものや現象がどのようであっても、心が左右されることなく過ごしていけると思います。

……
写真は満福寺のお庭に咲いていた蓮です。今年は昨年以上に蓮がとてもとても大きくなっていました!もうすぐ蓮の時期が終わってしまいますが、今年は板橋のスタジオでも蓮を見ることができ、色んな蓮の成長を見ることができました。また、来年の蓮の成長が楽しみです。

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