本読み・冬は必ず春となる

 2020年6月1日(土)の満福寺ヨーガ教室では、「冬は必ず春となる」というお話に、私の感想を加えてお話をさせていただきました。
(出典:『みちしるべ正見 』pp.73-77)

 われわれは病気になったら病気のことしか考えず、失敗したら失敗したことにふりまわされ、愛が憎しみに変わったら憎悪(ぞうお)の他は何も見えなくなり、心が重く沈み、よどんでしまう。ちょっと眼をあげて空を見てごらん。ちょっと高いところへ登って遠くを見てごらん。ちょっと角度を変えて違う方向を見てごらん。心をしずめて耳をすましてごらん。出口はいっぱいあるよ。失敗は成功のもと、といわれるじゃないか。愛は深いほど一つまちがうと憎悪に変わる、ということは、憎悪が愛に変わる可能性もあるということ、憎悪は一つの心の表裏だというではないか。これらの呼びかけが日蓮聖人(にちれんしょうにん)の「冬は必ず春となる」という妙一尼(みょういちに)への呼びかけの心であろう。

 希望を持つということと、ここをおいてどこかへと逃げるのとは違う。 冬の寒さが木に年輪をきざみ、その年輪が木を守り、また、木目として木を飾る。常夏(とこなつ)の木には年輪らしきものはきざまれない。人も悲しみ苦しみのお蔭で、深みのある人間になることができる。思うようにならないことをこそ、「私に年輪をきざんでいただけるとき」と喜んでゆきたいものである。

 更に一歩進めて、人生の旅路の途上におきる生老病死(しょうろうびょうし)や愛憎(あいぞう)、損得などを、すべて人生を彩(いろど)る豊かな道具だてとして、景色として楽しんでゆこうと、道元禅師(どうげんぜんし)はおっしゃる。

 春はわが心にかなうこと、秋はわが心にかなわないこと。わが心にかなうことを追いかけ、思うようになると有頂天になって酔い、思うようにならないと落ちこんでしまうのがわれわれの姿であるが、それをしないというのである。一生のうちには、春風に誘われて芽吹き、花開く春もあろう。焼けつくような太陽のもと、緑の枝を大空いっぱいに広げる夏もあろう。わずかに残った紅葉や病葉(わくらば)さえも無情の風に吹きちぎられる秋もある。裸木となった肌に雪や寒風(かんぷう)が容赦なく吹きつける厳寒(げんかん)もある。それを同じ姿勢で受けとめよ、いや、積極的に景色と楽しんでゆけというのである。

(感想)
 私たちの生活の中では、日々色んなことが起こります。予想していなかった良いことや悪いこと。感情が大きく揺れ動くときは、どちらも心はそのことだけに囚われ、周りのものが目に入らなくなります。よいことが起これば、つらかったことは忘れてしまい。つらいことが起これば、人生のすべてが不幸かのように感じてしまいます。

 お話にあるように、人間の心は四季のように移ろい、良いことも悪いことも続かず変化していきます。そして、その日々起こるできごとは、周りのせいではなく、自分の心で決めています。なぜなら、同じものを見ても感じ方がみんな違うからです。

 人は楽しいときには、自分を省みることは少なくなります。つらいときは楽しいことに逃げたくなります。時には逃げることも必要です。でも、せっかくの経験を無駄にしないよう、心が落ち着いたときに自分の心と向き合うことが大切です。そうすることで、その経験が「私に年輪をきざんでいただけるとき」となり、たくさんのきざまれた年輪は、どんな時でも倒れることなく、自分を支えてくれるものとなると思います。

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写真は、満福寺のお庭にある蓮です。今日はおしょうさんと蓮が元気になる育て方と、「葉に上にのるしずくに癒されますねぇ」とお話ししていました。
ヨーガ教室にお越しいただいた、みなさんもありがとうございました。不安な気持ちもあったかと思いますが、2ヶ月ぶりにみなさんの元気なお姿が拝見できてうれしかったです。

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