本読み・何が第一の問題であるか

2020年10月24日(土)の満福寺ヨーガ教室では、「何が第一の問題であるか」というお話に、私の感想を加えてお話をさせていただきました。
(出典:『禪聖典』pp.169-170)

例えば、人が恐ろしい毒矢に射られたとする。親戚や友人が集まり、急いで医者を呼び毒矢を抜いて毒の手当てをしようとする。

ところがそのとき、その人が「しばらく矢を抜くのを待て、だれがこの矢を射たのか、それを知りたい。男か、女か、どんな素性(すじょう)のものか、また弓は何であったか、大弓か小弓か木の弓か、竹の弓か、弦(つる)は何であったか、藤蔓(ふじづる)か、筋(すじ)か、矢は籐(とう)か葦(あし)か、羽根は何か、それらが、すっかりわかるまで矢を抜くのは待て」と言ったら、どうであろうか。

いうまでもなく、それらのことがわかってしまわないうちに、毒は全身に回って死んでしまうに違いない。この場合にまずしなければならないことは、まず矢を抜き、毒が全身に回らないよう手当てをすることである。

仏の教えは、説(と)かなければならないことを説き、説く必要のないことを説かない。すなわち、人に、知らなければならないことを知り、断たなければならないものをさとれと教えるのである。

だから、人はまず問題を選ばなければならない。自分にとって何が第一の問題であるか、何が自分にもっともおし迫っているものであるかを知って、自分の心をととのえることから始めなければならない。

(感想)
お話にあるように、私たちも日常生活の中で何が問題であるかを考える必要があります。例えば、自分がイライラしている時、私たちは自分の周りで起きている物事を問題としてしまいがちですが、周りでの出来事をストレスだと感じる自分の心こそが考えるべき問題です。なぜなら同じものを見ていても、ある人はイライラし、ある人は何とも思わないからです。

このように何が問題であるかを見極め、その問題に心を向けていくことが必要です。イライラする気持ちは、大抵の場合自分の思い通りにならないという心から生まれると思います。そのため、自分がイライラしてしまう時は、自分の心が今どのようになっていて、なぜそう感じるのかを自分の心に問いかけることが大切です。そして、その自分と周りとの事を自分の感情は含めず、そのままを受け入れるように努めることが、この問題からの解放につながっていくと思います。

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