本読み・善い心でものを言い 身で行うと楽しみがくる

 2月23日(土)の満福寺ヨーガ教室では、「善い心でものを言い 身(からだ)で行うと楽しみがくる」というお話に私の感想を加えてお話をさせていただきました。
(出典:『新々みちしるべ』pp.40-44)

 表題の聖句は、釈尊の言葉を記録した初期の経典『ダンマパダ(法句経)』によるもので、そこには、

 すべてのものは、みな心を先とし、心を主とし、心から成っている。汚れた心でものを言い、また身で行うと、苦しみがその人に従うには、ちょうど牽(ひ)く牛に車が従うようなものである。
しかし、もし善い心でものを言い、または身で行うと、楽しみがその人に従うのは、ちょうど影が形に添うようなものである。と記されています。

 仏教が最も大切にしてきたものは、ものごとには必ずそうなるべき原因があり、条件が整って結果が生じると見る「縁起(えんぎ)」という考え方でした。それは、私がこれからどのような原因を作り、条件を整えていくかによって、未来の結果が左右されるということでもあります。

 苦しみや楽しみは、偶然にもたらされるのではなく、運命によって定まっているのでもない。また、人間を超えた何者かの意思によって決定されるものでもない。それは自分自身の行為によって自ら招くものである、と受け止めるのが仏教の’立場なのです。

 この行為のことを仏教では「業(ごう)」といいますが、身体で行う行為を「身業(いごう)」というのに対して、言葉を話すことも行為に含めて「口業(くごう)」といいます。

 そして、心に思うことも行為であると考え、これを「意業(いごう)」と言っています。

 つまり、心に思い、口で話し、身で行うすべてが行為であり、総じて「身・口・意の三業(さんごう)」というのです。この時、ものを言うことも身で行うことも、その背後にあるのは心のはたらきでありますから、「すべてのものは、みな心を先とし、心を主とし、心から成っている」といわれるのです。それは、三業のうちで最も意業を重視するのが仏教の態度であるということを示しています。

 私たちの日常生活は、四六時中、何かを考え、何かを語り、何かを為すことによって成り立っています。そして、その行為の結果は、必ず自分に返ってくるのです。

「善い心でものを言い、または身で行うと、楽しみがその人に従う」のであり、逆に「汚れた心でものを言い、また身で行うと、苦しみがその人に従う」という原則を、仏教では「善因楽果(ぜんいんらっか)、悪因苦果(あくいんくか)」と示してきました。

 それは、自分の人生を「行為によって自ら形成するもの」として引き受け、つつしみ深く生きることの大切さを教えたものと言えます。

(感想)
 お話では、善い心を保つ大切さを伝えています。その為には、日々教えを学び、実践を通じて心を磨いていくことが必要です。一方で生活の中では、どうしても心が乱れてしまうこともあります。そんな時は、行動や身から心を調えることも大切です。
ヨーガは心と身をつなぐものです。心がイライラしたり、ソワソワしたりする時は、呼吸やアーサナ、瞑想を通じて身を調えることで、心を自分の中心に戻すことができます。心と身の両方を善い状態に保つことで、気持ちが前向きになり、新しいことにチャレンジしようと思えたり、心穏やかになり、楽しい毎日にもつながると思います。

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