本読み・慈と悲と喜と捨の四つの大きな心を育てる

2018年12月8日(土)の満福寺ヨーガ教室では、
「慈(じ)と悲(ひ)と喜(き)と捨(しゃ)の四つの大きな心を育てる」というお話に私の感想を加えてお話をさせていただきました。
(出典:『みちしるべ 正命』pp.15-19)
 
「慈・悲・喜・捨」、これを「四無量心(しむりょうしん)」(四つの広大な心・はかりしれない思いやりの心)といっています。
    
慈‥友愛の心(いつくしみ)。
これを修めると貪りの心を断つことができる。

悲‥他者の苦しみに対する同情(あわれみ)。
これを修めると瞋(いか)りの心を断つことができる。

喜‥他者を幸福にする喜び。
これを修めると苦しみを断つことができる。

捨‥すべてのとらわれを捨てる平(たい)らかな心。
これを修めると、恩と恨(うら)みのいずれに対しても、片寄らず平らかに見ることができる。

一字一字にはこれらの意味があるのですが、これを二字ずつ結んでみると次のようになります。

慈悲‥仏・菩薩が衆生をあわれみ、いつくしむ心。あわれみの心。万人に対する愛。

喜捨‥喜んで財宝を施すこと。与えることをよろこぶ。

簡単にいうと、「苦しみ悲しんでいる人がいたら、その人に何かをして差し上げる」ということで、わたしはこれを「喜ばれる悦び」といっています。
 
人に何かをして差し上げて、相手の人が喜んでくれると、こちらはもっと大きな悦びにひたることができます。喜と悦の違いがお分かりいただけるでしょうか。

しかし、心しなければならないことは、「そういうものか」と思って、これを計(はか)らい、たくらんでやったのでは、純粋の慈悲にも喜捨にもならないということですね。仏教の説く「思いやりの心」とは、「計算」ではなく「ただ行う」(見返りを求めない)ということに尽きます。人間にはもともと「そうしないではいられない」という心が宿っているのですから。

なんの計らいもない思いやりの心、この心こそ菩薩さまの心で、私たちはこの心を生まれながらにしてさずかっているのですね。「仏心」というのがそれなのです。

「菩薩が衆生をあわれみ、いつくしむ心」、これを「慈悲心(じひしん)」といっています。

一口に「あわれみの心」とはいっても、それが行為にあらわれなかったら、たんなる言葉だけの世界に終わってしまいます。

慈悲・喜捨は、行為そのものである、とわたしは思っています。

【感想】
お話にある慈悲も喜捨も、自分に対してではなく、他を思い、他へ与えることです。これらを見返りを求めず行うためには、自分というものが周りのおかげで成り立つ有り難い存在であると自覚することが大切だと思います。そのように自分を取り巻く大きな恩を知ることで、心が満たされ、その恵みを、報いを求めることなく、周りの人に分け与えることができるのだと思います。

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