本読み・他人のするしないを心にかけてはならない

2018年11月24日(土)の満福寺ヨーガ教室では、「他人のするしないを心にかけてはならない」というお話に、私の感想を加えてお話をさせていただきました。(出典:『新々みちしるべ   遍照』pp.66-69)

お釈迦さまの最後に臨(のぞ)んでの遺教(ゆいきょう)に、「自らを灯火(ともしび)とし、自らをよりどころとせよ、他を頼りとしてはならない。この法を灯火とし、よりどころとせよ、他の教えをよりどころとしてはならない」とありました。仏教から呼びかけられる生き方の基本姿勢です。「このこと一つを常に念頭に」とお釈迦さまは言い残されたのです。

ところが私たちの通例は、すぐキョロキョロと右顧左眄(うこさべん)して周りと自分とを見くらべ、大勢(たいせい)に付和雷同(ふわらいどう)することしばしばです。

七百五十年の昔、真剣に仏道を求める一団が、遠く都へ移り住んだ師匠の許へ、十余ヶ国の境を越えて、信心の一義をたずねにまいりました。師不在の今、周りの人の了解が自分たちとかみあわず、心許(こころもと)ないという惑いからです。そのとき老師匠(ろうししょう)は、自らの了解を簡潔(かんけつ)に語って聞かせ、しめくくりに、「愚かなこの私が、教えに照らされて生きる道はこれだけです。このうえは、私と同じ道を歩まれるか、またすてるか、あなたがたお一人一人の決断ひとつです」と、きっぱり各自それぞれの意志決定をうながします。『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』にある掲出(けいしゅつ)の言葉とその基本姿勢は一つであります。

人と比べない。人の差配(さはい)や批評に惑わされない、操られない。ひとり昂然(こうぜん)と高ぶるものでもない、低いところで。「愚身(ぐしん)の信心におきては」とあります。

俳優の柳生博(やぎゅうひろし)さんは若い頃から、周りの人を意識して、それにふりまわされ、気押しされて、心身萎縮してしまう。対人恐怖ともいえるわが性格に悩まされていたそうです。二十八歳の時、名匠今井正(めいしょういまいただし)監督の映画の役を得ました。いざ本番というとき、監督以下スタッフや周囲の人を気にかけて、緊張の余りどうしても台詞が口にでません。「ああっ」と度を失って、頭に血がのぼり、ズキズキ痛み出したそうです。

そんなこんなんで俳優を断念し、二年半ほど地下鉄工事の現場で仕事に従事していました。汗を流しながらふっと気付かされたことは、「人からどう評価される。上手下手を気にかける必要なんてない。お前はお前以上のことはできないが、お前以下になることもないんだから、お前はお前のままでいいんだ」と。全身から力が抜けて、もやもやした重苦しいものがスウーッと消えたそうです。

かっこうつけて、人がどういうか、どう見られるか、そんなことに気をとられ、金縛りにあっていた自分だった、と、自分の内心のもつれがほどけてきたのです。「今でもテレビなんかに出ると、掌が汗でぐっしょり濡れるんです。でも、あがってもいいんだよ。それがお前の持ち前の分なのだから、といいきかせて楽になる」のだそうです。

【感想】
お話にあるように、私たちは普段の生活の中で、周りの人の目や評価が気になり、それらを意識しすぎてしまうことがあります。しかし、よく考えると、他人が自分をどのように見るか、どのように思うかは、いくら考えたとろこでこちらがコントロールすることができません。私たちができることは、今の自分を受け入れて、自分のできることに、その行為の結果を求めず、取り組むことです。そのように自分を頼りに、自分の目の前のことに打ち込むことで、周りには左右されない、確かな自分を築いていくことができると思います。

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