本読み・宝とは道心なり

2018年10月24日(水)の満福寺ヨーガ教室では、
「宝とは􏰌􏰍道心なり􏰎􏰏」というお話に、私の感想を加えてお話をさせていただきました。
(出典:『􏰃􏰄􏰅􏰆􏰇 正思惟』 pp.26-30)

私にとってなくてはならないもの、それが宝物であるといってもいいと思う。

「宝とは道心なり」という言葉は今からおよそ1200年くらい前の、伝教大師最澄(でんきょうだいしさいちょう)というお坊さまの言葉である。京都の比叡山(ひえいざん)で天台宗というお宗旨(しゅうし)をひらいたお祖師(そし)さまであり、国の宝とは何であるか、ということを一生考え続けた清純な僧であった。

日本を代表するような名僧でありながら、常に自分のことを「愚か者の中の最も愚か者。通りに暗いこときわまりない私。仏のさとりを得る智慧もない、最低の人間」と言っていた。本当に尊い方はここまで自分を深く洞察しているのである。釈尊が「愚(ぐ)を知るを智者(ちしゃ)という。知を誇るを愚者(ぐしゃ)という」言葉の通りである。

最澄は、「国の宝とは道心――真実を求める心」と言い切った。最澄は世俗をいくら究めても、それは砂の上に邸宅を構えるように虚しい。真実なるものはどんなことがあっても崩れず、なくてはならないもの。それが道心であるというのである。この心を持った人が国の宝といわれるものである。

道心ある人が国に満ちた時、国は豊かになり、人びとが幸せになることを示したのが、「宝とは道心なり」というものであった。一国はその強さを誇るのではなく、そこに住む人びとの心の豊かさによって、その値うちが決まるのである。

【感想】
最澄は自分にとってなくてはならない宝物とは、物ではなく、真実を求める心であると言います。
お話を読んで、そのような宝物を得るためには、常に感謝の心をもって求め続けることが大切であると思いました。
たとえば、私たちは精神的な豊かさこそが大切であるとわかっていても、物質的な豊かさに執着してしまうこともあると思います。また、生活の中では、自分に都合が悪くなると自分の心から目を背け、ごまかしてしまうこともあります。
しかし、どのような時も自分と向き合い、謙虚に反省し続けることで、最澄がいうような宝物に近づけると思います。そして、そのように宝物を求め続ける中に、物を宝物としていては得られないような、心の豊かさや穏やかさが生まれてくると思います。

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