本読み・過ぎ去った日のことは悔いず

 2020年6月27日(土)の満福寺ヨーガ教室では、「過ぎ去った日のことは悔いず」というお話に、私の感想を加えてお話をさせていただきました。
(出典:『みちしるべ正語 』)

まだこない未来にあこがれて、
とりこし苦労をしたり、
過ぎ去った日の影を追って悔(く)いていれば、
刈(か)り取られた葦(あし)のように痩せしぼむ。
過ぎ去った日のことは悔いず、
まだこない未来にあこがれず、
とりこし苦労をせず、
現在を大切にふみしめてゆけば、
身も心も健やかになる。
過去は追ってはならない。
未来は待ってはならない。
ただ現在の一瞬だけを、
強く生きねばならない。
今日すべきことを明日に延ばさず、
確かにしていくことこそ、
よい一日を生きる道である。
(『仏教聖典』はげみ 第2章 実践の道 第4節 仏のことば)

 私たちの毎日の生きざまを反省しますと、ここに説かれている仏陀の教えとは、まるで正反対の生き方をしていると言わざるを得ませんね。まだどうなるかわからないような未来を夢見たり、起こりもしない出来事を予想して必要以上に恐れたりします。

 また、過ぎ去ってしまって、もはや何ともならないことを、いつまでも心の中に引きずって悔やんだり、残念がったりしています。これこそ仏陀が三毒の一つに数えられた「愚痴(ぐち)」というものであり、おそらく人間以外の動物たちの、預(あず)かりを知らないものでありましょう。

 眼の前に見えない遥(はる)かなものにまで思いを馳(は)せることは、人間にのみ与えられた神の恵に違いありませんが、そういう能力によってわれわれ人間がかえって苦しまなければならないというのも、神が人間に与えた理性の代価(だいか)なのでしょうか。

 この章のことばのようなものを読みますと、どうやら仏陀はそのような人間独特の能力を、愚(おろ)かな知恵と決めつけられているようです。そして、むしろ過去・現在・未来の三時を超えて、「一瞬」のうちに生きることを、教えられているのであります。

 動物たちは瞬間、瞬間、本能にしたがって生きているようですが、知恵がある人間にとって、それはなかなか真似のできないことであります。

 別に動物のようになれ、ということではありませんが、人間を煩悩という苦しみから解放させることを目的とする仏教から見れば、動物こそもって範(はん)とすべきものではないでしょうか。

(感想)
 お話にあるように、私たちは「今、ここ」に心を注いで生きることしかできないのだと思います。過去や未来だけでなく、もっと言えば現在も考えた瞬間に過去になってしまい、色々考えてもどうすることもできません。そのようなことに心を囚(とら)われることから、私たちの多くの悩みは生まれていると思います。以前ある方が、「本当の自分は未来や過去にあるのではなく、今していることが本当の自分だよ」と教えてくれました。

 「今、ここ」を大切に生きることで、悩みが少なくなるだけでなく、自分の人生がより充実したものになっていくのだと思います。

満福寺

上の2枚の写真は、満福寺のお庭にある蓮です。先日はお花が咲いていました!花びらは落ちたら、蓮の鉢の中に入れ肥料にするそうです。そのお話をおしょうさんに伺い、私の家の観葉植物の落ち葉も土の上に載せてみました。あってるのかな、、

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