【自動書記】まえがき

まえがき
八十余年の歳月を過ごす間、約二十数年余り、紆余曲折うよきゃくせつした人生を送り、人としての道を踏みはずした、生活を過ごしてきた。

そうした己自身であったが、如何いかなる理由があってか、二十数年前のある未明、睡眠中突如として、己自身の頭上に、無数の漢字が渦を巻いて現われ、自分に起きろと言わんばかり、起床を余儀よぎなくされ、ペンを握るようになった。

伝わってくる言葉を、書き移すのに精一杯、そのことがきっかけとなり、今も異次元いじげんの世界に入ったかのように、何方どなたともわからない、とうとく感じられる、目にすることが出来ない、複数の方々と想念そうねんを交わす、毎日を送るようになった。

日が経つにつれて、伝えられてくる言葉の主旨も、おもむろに理解することも、出来るようになり、伝えられてくる文の内容は、心に関する教示であった。

それは今日まで、多くの人々の間で、語り継がれてきている教訓を、口にすることよりも、心を磨くことが、人々にとって如何いかに大切かが、伝えられている内容である。

そのためには、人間としてどのような考えを抱き、行いをするべきかを、語るべく知らされており、その教示の内容について、多くの人々にお伝えすべく、理解することが出来るように、教示されてきた内容に、すべて基づいて書き移して、ここに記述したのである。



澄雲とううん

1923年2月14日 − 2007年12月14日(84歳)
埼玉県川越市に生まれる。

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大叔父は、このような名前を天からいただく前は、第二次世界大戦でソ連に捕まり、その後、読売広告社に入社、物販や探偵、最後には小料理屋と、さまざまな仕事をしていました。

小料理屋
祖母

私の祖母の弟にあたるのが大叔父ですが、家は元々、薬種問屋やくしゅどんやであり、東武鉄道や埼玉銀行創設に携わったと聞いています。

家には毎年、天皇陛下が軽井沢の行き帰りに、来られるような間柄だったそうですが、米相場で失敗し、家は徐々に没落していったそうです。

現在、大叔父は霊界へと旅立っていきましたが、この自動書記を大叔父から父へ、そして、父から私へと残してくれたものです。

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