心の指針(四)
運命の分岐
俗世を離れて肉体が滅びた後、心は幽玄の地に帰る者があれば、霊界の下界で去来して、俗世で言う成仏することが出来ず、宇宙空間で彷徨う者もいる。
生(霊)として目覚めるにあたり前述してもあるように、仏陀の導きにより己の進むべき道を悟り、浄化されるようになって集団の中のグループに所属し、和やかな中で修行する者もいれば、俗世に於いて人としての道を誤り、心に禍根の多い者は、心に堆積させた垢を取り払うために煩悶の状態の中で苦しみに苛まされるようになり、その苦痛は言葉では言い表すことは出来ない程、並大抵のものではない。
中には己の罪の責めの償いに耐えきれず、修行よりエスケープして宇宙空間に浮遊し、己とは関わりのない俗世の人物や動物を始め、物体に憑依する者もいるが、天に反逆したことにより、再び生として蘇ることはない。
無に始まり無に帰ることは、宇宙流転の法に基づくものであることは、多くの人々が知っているようであっても知らない実情である。
従って俗界だけで人類は生存すると考えている人が多いが、大きな誤りで俗世に於ける修行こそ、心生の世界で目覚めて浄化が早く、そうした意味からも俗世で心を磨くべく、身を謹み行いを正すことが未来の道を歩む分岐点となるのである。
心の安らぎこそこの上もない喜びに繋がるものなのである。経済的に豊かな生活を望もうとも、社会的に己の知名度を高めようとしたとしても、心の安らぎが得られないとしたなら、心生として新たな旅路に赴くに当たって、先に足を進ませようとしても、煩悩が足かせになって、無駄な時を重ねることになることを知って置くべきである。
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『心の指針』は、これで終わりになります。
次回(2/16)からは、『人の道』仏教、お釈迦様、孔子、空海、道元などについて書かれたものを掲載していきます。