心の指針(三)
心の赴く道
心の表情を捉えて言うならば、俗世の行いによって刻み込まれた心の辿る道は待ち待ち、ある者は色とりどりの花が咲き乱れる、心地の良い光輝く地へと進み行く者もあれば荒海の中で小さな小舟で波に揉れ、喉が乾いても一滴の飲み水もなく、漸く陸地に辿り着いても、ごつごつとした岩肌の険しい山々が連なり、その急な斜面を登って行かなければ、己が目的とする世界に到達出来ず、杖を手に汗を流しながら登って行くと、己を追い越さんとばかり後続してくる者は数知れず、中には足を滑らせて暗黒の谷底に落下していく者が数多くいる。
俗世に生存中自己中心的な行いに走り、際立った欲望を募らせた非人道的な言動を用いたとしたなら、言葉では一概に表現することが難しい苦しみを、実感するようになることを覚悟して置く必要がある。一般的な事例で向上の道を辿る者の心理状態を説くなら、汚染が広がっている環境を、誰の手助けもなく己一人だけで、以前の清潔な環境に整えなければならず、己の過ちにより大なり小なり苦しみを、俗世の者は総て味わうようになるのは避けて通ることは出来ない。言い換えれば人は誰もが俗世生存中、過ちを犯していない者は一人としていないのである。
特に他人の肉体を滅ぼしたりする行為は、天の理に著しく反逆したことにになり、その罪の深さは語り尽くすことが出来ず、暗黒の湿々とした心の休まる暇のない、底の見えない奥深い地底に自ら落ち行くことを余儀なくされる。
このことに等しく如何なる理由があろうと、自ら己の身を滅ぼす行為をしたなら、天から授かった心の住処を滅亡させた罪の償いは生易しいものではなく、心生の扉はなかなか開かれず、苦しみながら宇宙空間を漂うことになる。幾ら俗世で苦しみがあろうと、俗世とは心生にとって短時一遍である認識を深めて、未来を見つめて心の道を求めることが、人生の最大な幸楽を得ることになるのである。
次回は、12月29日(水)「心の指針(四)故人の旅立ち」についてお話します。