【自動書記】心の赴く道 1-12

心の指針(三)
心のおもむく道

心の表情をとらえて言うならば、俗世ぞくせの行いによって刻み込まれた心の辿たどる道は待ち待ち、ある者は色とりどりの花が咲き乱れる、心地の良い光輝く地へと進み行く者もあれば荒海あらうみの中で小さな小舟で波に揉れ、喉が乾いても一滴の飲み水もなく、ようやく陸地に辿り着いても、ごつごつとした岩肌の険しい山々がつらなり、その急な斜面を登って行かなければ、おのれが目的とする世界に到達出来ず、つえを手に汗を流しながら登って行くと、おのれさんとばかり後続こうぞくしてくる者は数知れず、中には足を滑らせて暗黒の谷底に落下していく者が数多くいる。

俗世ぞくせ生存せいぞんちゅう自己中心的な行いに走り、際立った欲望をつのらせた人道じんどう的な言動を用いたとしたなら、言葉では一概いちがいに表現することが難しい苦しみを、実感するようになることを覚悟して置く必要がある。一般的な事例で向上の道を辿たどる者の心理状態を説くなら、汚染が広がっている環境を、誰の手助けもなく己一人だけで、以前の清潔せいけつな環境に整えなければならず、己の過ちにより大なり小なり苦しみを、俗世の者はすべて味わうようになるのは避けて通ることは出来ない。言い換えれば人は誰もが俗世生存中、過ちを犯していない者は一人としていないのである。

特に他人の肉体を滅ぼしたりする行為は、天の理にいちじるしく反逆はんぎゃくしたことにになり、その罪の深さは語り尽くすことが出来ず、暗黒の湿々じめじめとした心の休まる暇のない、底の見えない奥深い地底に自ら落ち行くことを余儀よぎなくされる。

このことに等しく如何いかなる理由があろうと、自ら己の身を滅ぼす行為をしたなら、天から授かった心の住処すみか滅亡めつぼうさせた罪のつぐいは生易なまやさしいものではなく、心生しんじょうの扉はなかなか開かれず、苦しみながら宇宙空間をただようことになる。いく俗世ぞくせで苦しみがあろうと、俗世とは心生にとって短時一遍たんじいっぺんである認識を深めて、未来を見つめて心の道を求めることが、人生の最大な幸楽を得ることになるのである。

次回は、12月29日(水)「心の指針(四)故人こじんの旅立ち」についてお話します。

→コメント「因縁果」について

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