【自動書記】道元と本覚の歩いた道 2-5

人の道
道元どうげんと本覚(あじゃり)の歩いた道
鎌倉時代の初期の禅僧で日本曹洞宗そうとうしゅうの開祖で、京都の興聖寺こうしょうじで法をひろめ、後に福井県の永平寺えいへいじを開き、行脚あんぎゃして自分の道を求めた道元、自分の歩く道を信じて仏塔ぶっとうを設立した。

諸弟よしていを導くにあたって、俗世にもたされている、天が用いている法の一端いったんひろめるべく努力した。内弟子達には、
「法は一つに天より発せられていることに変わりなく、地球はことごとく天の教えに支配にゆだねられ、仏教の根幹こんかんは天地自然の法の摂理せつりに基づくものである」と説いていた。

しか門弟もんてい達には、道元が説く教えの意味を理解することが出来ず、道元の死後門弟たちは宗門を閉ざして宗派にわだかまり、自分たちの自我を多用して宗域をつくったのは、自我欲望を満たそうとした現われと述べる以外にない。

無名の中に埋もれることを意にかけない仏僧、この名を本覚といわれて世の中の人々に知られていない人物であるが、心底まで清らかで潔白けっぱく比類ひるいない慈悲じひを包容し、平素へいその行いは自然の教えを守り、物事の筋道を正してことわりのある知識を備えた僧侶そうろである。

世の中の多くの人々は自分の名誉を求めて知名度を高めようとし、学識のない人を卑下ひげ侮蔑ぶべつしておごり高振る人が見受けられる。他面学識がない人であるとはいえ、学識の豊かな人もおよびつかないほど心磨かれた人が、世の中にはいるということも、決して忘れてはならない。


次回は、3月23日(水)「人の道 心のうねり」についてお話します。

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