人の道
道元と本覚(あじゃり)の歩いた道
鎌倉時代の初期の禅僧で日本曹洞宗の開祖で、京都の興聖寺で法を弘め、後に福井県の永平寺を開き、行脚して自分の道を求めた道元、自分の歩く道を信じて仏塔を設立した。
諸弟を導くにあたって、俗世にもたされている、天が用いている法の一端を弘めるべく努力した。内弟子達には、
「法は一つに天より発せられていることに変わりなく、地球は悉く天の教えに支配に委ねられ、仏教の根幹は天地自然の法の摂理に基づくものである」と説いていた。
然し門弟達には、道元が説く教えの意味を理解することが出来ず、道元の死後門弟たちは宗門を閉ざして宗派にわだかまり、自分たちの自我を多用して宗域をつくったのは、自我欲望を満たそうとした現われと述べる以外にない。
無名の中に埋もれることを意にかけない仏僧、この名を本覚といわれて世の中の人々に知られていない人物であるが、心底まで清らかで潔白、比類ない慈悲を包容し、平素の行いは自然の教えを守り、物事の筋道を正して理のある知識を備えた僧侶である。
世の中の多くの人々は自分の名誉を求めて知名度を高めようとし、学識のない人を卑下し侮蔑しておごり高振る人が見受けられる。他面学識がない人であるとはいえ、学識の豊かな人も及びつかないほど心磨かれた人が、世の中にはいるということも、決して忘れてはならない。
次回は、3月23日(水)「人の道 心のうねり」についてお話します。