本読み・愛欲を離れし人に憂いなし

 2019年8月24日(土)の満福寺ヨーガ教室では、「愛欲を離れし人に憂(うれ)いなし」というお話に、私の感想を加えてお話をさせていただきました。
(出典:『みちしるべ 正命』pp.126-131)

 仏教で説くところの「愛欲」は、いわゆる男女の愛欲ではありません。
「わが身を愛し、かぎりなく貪(むさぼ)りを欲(ほっ)する心」、これを愛欲といっているのです。

 この欲心を離れる努力をしないかぎり、他を思いやる心は育たなくなります。少しでも周囲の人の幸せのために役立ちたい、世のために何かすることはないか、と考えたり、真実を求めてやまない人たちは、わが身を愛するだけの貪りの心からは次第に遠ざかっていくものです。自分のことはさて置いて、という世界が開けてくるのです。

 自分の身を捨てても真理を得たいという求道心は、人間のまごこころを表わしています。「大切なわが身を捨ててまでそうすることはない」という心がちらりとでもはさまれば、その行為は有り得ないことです。

 わが身を守ろうとする心は大切です。しかし、そのことばかりに執着しすぎると、より大切な教えを得ようとする心は失われてゆくのです。
「わが身を愛し、かぎりなく貪り欲する心」、これを「貪欲(とんよく)」といっています。お釈迦さまは、貪欲についてこう説かれました。

仏(ぶつ)のたまわく、
多欲は苦なり、
生死(しょうじ)の疲労は貪欲より起こる。
少欲にして無為(むい)なれば、
心身自在(じざい)なりと覚知(かくち)せよ。

 自分のことばかりにとらわれすぎると、疲労が積み重なったまま、尊い一生が終わってしまいます。

 富をきずきあげ、その富を失うまいとして、他を思う心を忘れ去る人に、本当の安らぎはないというこの教えを、私たちは大切にしなければならないでしょう。

 散ってゆく花を見ると、「ご苦労さま」と言いたくなりますね。花には「憂いなし」「自在なり」の世界があるからです。

(感想)
 私たちは日々の多くの時間を、自分の安心や安定のために割いていると思います。私は以前ある人に次のように教えられたことがあります。
「自分が健康で幸せになりたければ、人を幸せにすることを考えなさい。そうすれば気づかないうちに病気が治り、幸せになっている」
 
 お話にもあるように、自分の安らぎを目的に何かを行うことは、実は一番安らぎから遠ざかる結果となるのかもしれません。本当の安らぎを得るためには、自分を思う心を少しずつ周を思う心へと変えていくことが大切なのだと思います。

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