本読み・習うは一生

 2020年2月3日(月)の満福寺ヨーガ教室では、「習うは一生」というお話に、私の感想を加えてお話をさせていただきました。
(出典:『みちしるべ 正思惟』pp.104-109)

 私たち人間にはどんなに歳を重ねても、習わなくてはいけないことがあり、習わなくてもいいものがある。しかし、私たちは習わなければならないことを習わず、どうでもいいことを習っている場合が多い。

 「習うは一生」という言葉は、人間として生涯のうちで学ばなければならないもの、歳を重ねても学ばなければならないことがあるということである。
 
 私たち人間が避けられないいのちの事実。身近なところでは、老・病・死等々である。経典には、次のようにある。

 人間にとって避けることができないものが五つある。老いゆく身でありながら老いないということ。病む身でありながら病まないということ。滅ぶべきものでありながら、滅びないということ。尽きるべきものでありながら、尽きないということ。

 愚かな人はこれらの問題に苦しみ悩む。しかし、真実の法にであった人は、避けられないことを避けられないと知るから、苦しみ悩むことはない。

 避けることのできない事実を見つめ、克服する道は、避けられないという事実を受容することである。釈尊はこの苦しみの根本を深く見抜かれた。苦しみの根本には人間のとらわれのこころ、執着があると示された。若さにとらわれ、健康にとらわれ、物理的な豊かさにとらわれると、老いた自分、病んでいる自分、貧しい自分を受け止めることはできない。

 出てくるのは愚痴ばかりである。若かったら、健康であったら、金持ちだったらどんなに幸せなことかと。私たちが一生かけて学ぶべきものは何か、そして習うとは一生をかけることである

【感想】
 自分が執着しているものを知るためには自分と向き合うことが必要であり、それらを受け入れることは容易なことではないと思います。

 しかし、お話にもあるように、こころ穏やかに生活するためには、避けることのできない事実を知り、避けられないという事実を受け入れていくことが大切です。
 
 執着の心から苦しみや不安がうまれ辛い思いをしたり、またそれらを受け入れようとする中ですぐにはうまく行かずに自分が嫌いになったりすることもあります。すぐには克服できなくても諦めず、日々失敗と反省を繰り返しながら、自分の心を見つめ一生かけて学び続けることが大切だと思います。

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