本読み・正しいことさえ 執着すべきではない

 2019年12月14日(土)の満福寺ヨーガ教室では、「正しいことさえ 執着すべきではない」というお話に、私の感想を加えてお話をさせていただきました。
(出典:『みちしるべ 正命』pp.90-94)

 「固執(こしゅう)」ということばがあります。かたく自分の意見を主張して、かえないことをいいます。「執着」も同じこと。深く思いこんで、心がはなれないこと。どちらも、物や事に心がとらわれてしまっていることをいうのですね。

 「子どもはしかって育てるべきだ」という人もいれば、「ほめて育てるべきだ」という人もいます。どうしてそう決めてしまうのでしょう。あるときはほめ、あるときはしかる。それでよいのではないでしょうか。どちらが正しいか、などと言い争う問題ではありません。

 「この水は万病に効くから」といって、友人、知人に水を送っている人もいます。その水を飲んで健康を害した人もいます。食べ物などもそうですね。自分が好きだからといって、万人が好むわけではありません。どうして人は自分の意見や体験を他人に押しつけたがるのでしょう。それは固執・執着からはなれようとしないからです。

 そのとき、それが正しいと思われることでも、いつでも、どこでも、だれにでも通用するわけでもありません。正しいと決めつけること自体、正しくないのかも知れないのですから。

 仏典にこんな喩(たと)え話があります。

 「ここに、ひとりの人がいて、長い旅を続け、とあるところで大きな河を見て、こう思った。この河のこちらの岸は危ういが、向こう岸は安らかに見える。そこで筏(いかだ)を作り、その筏によって、向こうの岸に安らかに着くことができた。そこで”この筏は、私を安らかにこちらの岸へ渡してくれた。大変役に立った筏である。だから、この筏を捨てることなく、肩に担(かつ)いで、行く先へ持って行こう”と思ったのである」

 これについて、教えが添(そ)えられています。

 「このとき、この人は筏に対して、しなければならないことをしたといわれるであろうか。そうではない。正しいことさえ執着すべきではなく、捨て離れなければならない。まして、正しくないことは、なおさら捨てなければならない」

 これさえあれば自分は幸せになれる、これが執着というものなのだよ、という教えです。よいと思ったことでも、捨てるときには捨てなければならないのですね。

 私たちの人生途上においても、さらりと捨てなければならないことが多々あります。「これこそ正しいのだ」と思って一つの体験に固執することは、筏を担いで、これから先の人生を歩もうとするのと何ら変わりがありません。

【感想】
 私も以前は、正しい答えとは一つだと思い、それだけを探し求めていた時がありました。

 しかし、お話にあるように、正しい答えとは時と場合によって異なるため、「いつでもこれが正しい」というものはありません。答えを一つに決め、それだけを主張することは、簡単であり楽です。

 しかしそうではなく、大切なことは、自分が信じていることや正しいと思うことをも、その時の状況や別の考えも含めて捉え直し、何にも偏らずに自分と周りとの調和を探していくことだと思います。

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