本読み・言うは易く行なうは難し

 2019年12月2日(月)の満福寺ヨーガ教室では、「言うは易(やす)く 行なうは難(かた)し)」というお話に、私の感想を加えてお話をさせていただきました。
(出典:『みちしるべ 正語』pp.15-20)

 この語は私たちが、箴言(しんげん)として日常的に使っていることばですが、語の出典を調べてみますと、なんと遠く中国の昔、前漢(ぜんかん)は武帝の時代に編集された『塩鉄論(えんてつろん)』に見えるとありますから、もう二千年以上も語り伝えられたことば、ということになるわけです。いかに人間の精神というものが、いつまで経っても進歩しないものか、という事実を知られるようです。
   
 ここで思い出すのは、禅宗の歴史書『景徳傳燈録(けいとくでんとうろく)』巻四に出てくる、次のようなエピソードです。

     唐の時代に鳥窠道林(ちょうかどうりん)(八二四年寂)という有名な禅僧がおりました。彼は秦望山(しんもうざん)というところに住んでいたのですが、どういうわけか一本の高い松の木に登って、そこで坐禅をしていましたので、時の人から鳥窠禅師(鳥の巣和尚という意味)と称して仰(あお)がれたのです。

    ある時、この鳥窠禅師を訪ねて、かの有名な詩人の白楽天(はくらくてん)がやってきて、「老師様はそのような高い処に住まわれていて、危ないじゃありませんか」と言うと、「毎日の生活に追われて心が安定しないあなたの方こそ、よほど危険じゃあるまいか」と応えられました。

    そこで、白楽天が禅師を見上げて、「仏法とは、いったいどのようなものですか」と問いますと禅師は、「どのような悪いこともしてはならない、できる限りの善いことをするように心がけよ、そうすればおのずと心が清められていくのだ。これが仏たちの教えられていることだ」と答えられたのです。

    これを聞いた白楽天が、「ただそれだけのことでしたら、三歳の幼児にでも分かる話じゃありませんか」と詰(なじ)ると、鳥窠禅師が、「三歳の子どもでも口にすることができることが、八十の老人にも実践できんのじゃ」と答えられたのです。

    流石(さすが)の白楽天、これを聴いて深く頷(うなず)くところがあり、この人こそ人生の師と決めて、すぐに禅師の弟子になって、禅に励んだと伝えられています。仏道というものもこのように、言うは易くして、実践することの難しいものであります。

【感想】
 お話にある仏法もそうですが、私たちはすでに何が正しいかを知っていると思います。それらの有り難い教えや人として正しいことを、知っているだけではなく、実践していくことが大切です。

「嘘をつかない、悪いことをしたり人様に迷惑をかけたら正直に謝る、困っている人がいたら助けてあげる、約束は守る、あいさつをきちんとする」など、実際に取り組んでいくことが大切だと思います。

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