本読み・他人をうらやまず 他人のことばに迷わない

  2019年10月26日(土)の満福寺ヨーガ教室では、「他人をうらやまず 他人のことばに迷わない」というお話に、私の感想を加えてお話をさせていただきました。
(出典:『みちしるべ 正命』pp.40-44)

 貧しい寺を飛び出したわたしは、学生時代四年間、行商(物売り)をして過ごしました。学費や生活費を稼ぐために、短時間でもっとも収入のある「物を売り歩く仕事」を、自分から選んだのです。

 そのため、大学の門は週に一、二度しかくぐれず、好きな教授の講義を聴くこともままならず、雨の日も風の日も、くたくたに疲れながら全国を歩き回りました。

 旅先では、安宿に泊まりながら、いつも学友たちのことをうらやましく思って寝についていました。

 しかし、あるとき、わたしは考えました。

 「仏教の勉強とはいったい何なのだろう。学職豊かな教授の講義を受けることだろうか。それとも、数多くの仏典を読破することだろうか。長時間坐禅をし、ときには断食にも挑戦することだろうか。どれもこれも、今の自分には不可能なことだ。今、自分がしなければならないのは物を売り歩き、まず食べて、着て、生きるということ。それが先決なのだ。だったら、働きながら勉強するほかに道はないではないか。仏教は学問ではなく、”道を修(しゅう)すること”だという。それならば、物を売り歩きながら道を修することはできないものか。今の自分にとって、彼らに勝るものがあるとすれば、一軒一軒、知らない家をたずねて、あいさつをするということだ。そこにも道を修する世界があってもいい。よし、今日から他をうらやましがらないで、自分にしか歩けない道に精出していこう。何万人の人とあいさつをしてゆくなかで、何かを学び取っていこう。これが自分に与えられた道だと思って、その道の真ん中を堂々と歩いていくことだー」 

 こう思うことができたその日から、わたしはいきいきと歩くことができ、だれとでも笑顔であいさつを交わすことができるようになったのです。

 自分で選んだ道は他の人の歩めない自分だけの道なのだから、その道のなかで真実にふれて心を養いながら、とぼとぼと歩いてゆければそれで十分ではないか、と考えたら気が楽になったのでした。

 他人は他人、自分は自分。みな別々の道を歩んできたのだし、これからも別々なのです。いま生きている道のなかで、自分の心を修めてゆくことが肝心と思います。

【感想】
 以前の私は、自分に自信がないために、周りに言われたことや本など、誰かのお手本を頼りに生きていたと思います。自分の人生なのに、どこか人の人生を生きているような、そんな気がしました。

 しかし、お話にもあるように、他人は他人、自分は自分と、自分はこの世の中に一人しかいない特別な存在だと知ることが大事だと思います。考え方が同じ人はいないし、正しいと言われていることさえ自分にとっては違うかもしれません。

 ときには周りの考えを参考にするのもよいかもしれませんが、最後に決めるのは自分です。人に認められることを優先するのでなく、自分のオリジナルを大切に、自分の人生を自分で考え、選択していくことで、人生を楽しむことができるのだと思います。

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