本読み・われは悪しと思う人なし

 2019年8月10日(土)の満福寺ヨーガ教室では、「われは悪(わろ)しと 思う人なし」というお話に、私の感想を加えてお話をさせていただきました。
(出典:『みちしるべ 正命』PP.148-152)

 思いあがっていい気になってしまうことを「つけあげる」といっています。
 
 経済的にゆとりができたり、社会的に少しでも高い地位に立ったりすると、すぐこの「つけあげり」がついて回ります。

 思いあがっていい気になってしまうことを「つけあげる」といっています。
 
 経済的にゆとりができたり、社会的に少しでも高い地位に立ったりすると、すぐこの「つけあげり」がついて回ります。

 独りになって、反省し後悔することがあっても、一歩外へ出るとたちまち元に戻ってしまうのです。自分本位にものごとを考えすぎるからでしょうか。何かに突き当たって頭をなぐられるような痛い目に遭わないと、なかなかに目覚められないのが人間であるように思われます。

 人間は、ふところが豊かになり、地位が高くなるにしたがって、“まごころ”から遠ざかるもののようです。

 禅ではこれを「雲居(うんご)の羅漢(らかん)」といっています。中国に雲居山(うんごさん)という山があって、その山のてっぺんには鼻の高い羅漢像が並んでいて、ふもとの人びとを見下げているそうで、鼻の高い人のことを「雲居山の羅漢のような人」といい、簡単に「雲居の羅漢」というようになった、ということです。

 人を見下げて、腕組みをしてせせら笑うようになると、まごころを忘れるようになるから気をつけたいものです。

 「われは悪とし思う人なし」と蓮如上人(れんにょしょうにん)(本願寺八代・一四九九年寂)は言われましたが、じつは、すべての人に「私は悪い人間だった」という美しい心のあることを、丸ごと信じていたからなのです。

 世の中には、鼻息の荒い人が沢山いますが、おどろくことはありません。

 「まごころに生きる」これにまさる尊さはないのですから。

(感想)
「まごころ」を持ち続けるためには、感謝と反省の気持ちを忘れないことが大切だと思います。
私は体調を崩したことがきっかけで、親の愛情を知ることができ、それまでしてもらったことに心から感謝しました。それと同時に、それ以前は自分の希望を叶えてくれれば愛されていると思い、自分の思い通りにならなければ愛情が欠けていると、独りよがりな判断をしていたことに気づき反省しました。考えてみれば、親がしてくれたことは、私の病気中でもそれ以前でも同じであったと思います。

 自分は一人では存在できないということを忘れず、支えてくれるすべてのものごとに感謝のこころで接し、それができなかったときはしっかり反省をしていくことで、豊かで穏やかな毎日へ繋がっていくと思います。

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