本読み・煩悩の火は おのれを焼く

 2019年6月9日(土)の満福寺ヨーガ教室では、「煩悩の火は  おのれを焼く」というお話に、私の感想を加えてお話をさせていただきました。
(出典:『みちしるべ正語 』pp.131-135)

 世間のありさまをよく見つめることで仏陀が洞察された世間の真相は、決して楽しいものでもなく、喜ぶべきものではなかったのです。むしろ世間は苦悩の世界であり、そこに住むためには、よほどの覚悟がなければならないことを仏陀は洞察されたのです。仏陀はその苦しみを「火に焼かれる」ようなものとしてイメージされたのです。    

 この章のことばを『仏教聖典』から詳しく引用してみましょう。    

 まことに、この世は、さまざまな火に焼かれている。貪(むさ)りの火、瞋(いか)りの火、愚(おろ)かさの火、生・老・病・死の火、憂(うれ)い・悲しみ・苦しみ・悶(もだ)えの火、さまざまな火によって炎炎と燃えあがっている。これらの煩悩の火はおのれを焼くばかりではなく、他をも苦しめ、人を身(しん)・口(く)・意(い)の三つの悪い行為に導くことになる。しかも、これらの火によってできた傷口のうみは触れたものを毒し、悪道に陥(おとしい)れる。
 
 ここでは、火の内容を「煩悩の火」として、具体的に説かれているのです。この火とは、たとえば貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)という「三毒の火」であり、生・老・病・死という「四苦の火」であります。
 
 貪りは、満足を得ようとする煩悩ですが、いくらあっても満足できない無限の欲望ですから、止めるところがない。それを止めようとするならば、欲望を捨てなければならないのですが、悲しいかなそれができないのが凡夫(ぼんぷ)ですね。
 
 瞋りも同じです。満足が得られないと腹が立つのです。もとは自分が可愛いからであります。
 
 愚痴もそうです。思うようにならないとわかっていても、満足できなかったことをいつまでも愚痴るのです。
 
 生老病死という苦しみはすべて、初めから人間存在に根源的に根づいていて、避けることのできない真実であります。これを苦しみと感じることが煩悩に他ならないのです。
 
 その煩悩の火となって、わが身を苦しめるばかりでなく、わが家の家事が隣家に類焼するように、他人にまで苦しみの害を及ぼすことになるのですから、一日も早く自家の火を消さねばならないのです。  

 涅槃(ねはん)の原語であるサンスクリット語の「ニルヴァーナ」が、火を吹き消すことを意味するゆえんであります。

(感想)
 煩悩を無くす為には、十分に足りていることを知り、全てのものに感謝をすることが大切だと思います。 また、この世にあるすべてのものは変化をし、永遠に続くものはないということを理解できれば、必要以上にものを欲しがったり、相手に対する怒りや愚痴も減っていくと思います。

 一度自分が不機嫌になり、怒ったり愚痴を言うと、周りをも不幸にしてしまいます。人が不機嫌な態度でいると、それを見ている人たちも心が痛くなり、また気持ちが伝染し、周りの人達も巻き込まれてイライラしてしまいます。 自分の感情は様々に変化しますが、その時々の感情に惑わされるのではなく、大きく外を見ていくことが、煩悩の火を吹き消すことに繋がると思います。

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