本読み・信仰が人間の最上の富である

 2019年5月25日(土)の満福寺ヨーガ教室では、「信仰が人間の最上の富である」というお話に、私の感想を加えてお話をさせていただきました。
(出典:『みちしるべ正語 』pp.50-130)

 人間の生き方には、大きく分けて三つのタイプがあります。哲学ではこれら三つを、「自然的生」、「文化的生」、そして「宗教的生」と呼んでいます。    
 
 「自然的生」は、生まれたままの人間の生き方です。つまり巣を作ること、食べること、異性を求めることで、満足して毎日を過ごすことです。これは動物とまったく同じ生き方であり、人間も基本的には動物的本能に従って生きているわけです。    
 
 ところが人間は、他の動物と違って知性を持っていますから、ただそういうように自然に従って生きるだけでは満足できません。そこでより快適な家を求めたり、車を買ったり、博物館へ行ったり、絵を描いたり、本を読んだり、音楽を聞いたりします。特にそれがなくては生きていけない、というものではありませんが、それがあった方が人間の生き方としてはベターである、ということです。    

 さて次に「宗教的生」ですが、これは文化的生とはすっかりレベルの異なる人間の生き方であります。宗教については古来いろいろな定義がなされていますが、共通して言えることは、人間が人間よりも大きな力を持つものについて畏(おそ)れたり、またその力を持つものをなだめて大切にお祀(まつ)りし、そのものの力を借りて悪魔を祓(はら)ったり、幸せを求めたりする行為でありましょう。しかし、このような私たちが一般に宗教と思って見ているものは、実は文化に過ぎないものだということを、はっきりさせておきたいと思います。    

 正しい意味での宗教というものは、それが「篤(あつ)い信仰」に基づいていなくてはなりません。私から見れば信仰とは、それが他者に対する信仰であれ、自己についての信念であれ、人が眼に見えないものと深く結ぶことであります。    

 人間は誰でも物質的な富を求め、富の獲得や蓄積のために人生の時間の大半を消耗しています。にも拘(かかわ)らずそうした物質的な富は、うっかりするとまたなくなってしまう儚いものであります。    

 いくら蓄積しても決してなくならない富、誰にも奪われることのない豊かさがあれば、それほど結構なことはないでしょう。仏陀はそういう富が「信仰」であり、これこそが最高の豊かさだと説かれたのです。

(感想)
 自然的な生活や文化的な生活は、生きていく上で大切なものです。 しかし、その二つの生活ができなくなり困ったときでも、心を豊かにしてくれるものが、お話にある宗教的な生活だと思います。 それは、不幸に見えることをも、幸せに変えることができる魔法みたいな智恵だと思います。

 たとえば、最終のバスに乗り遅れってしまったとき、時間は戻すことができませんが、自分の受け取り方を変えることはできます。考え方によっては、歩いて健康になれるからラッキーと、受け取れます。 そして、そのようにして、身の回りのことを受け入れる一つひとつの積み重ねが、感謝のこころに満ちた、誰にも奪われることのない豊かさになっていくと思います。

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