本読み・生ぜしもひとりなり死するも独りなり

 2019年5月11日(土)の満福寺ヨーガ教室では、「生(しょう)ぜしもひとりなり 死するも独りなり」というお話に、私の感想を加えてお話をさせていただきました。
(出典:『みちしるべ正語 』pp.126-130)

 一遍上人(いっぺんしょうにん)(時宗の開祖・一二八九年寂)の言われる通り、生まれる時も、死んでいく時も独りであることは、どんなに偉い人でも、どんなに平凡な人間でも、この点だけは平等です。要するに人間は根本的に孤独であり、人生という道は独りで歩まねばならない、自分だけの道です。

 その孤独に耐えられない人間は、「社会的動物」と言われるように、旅の道連れを必要とします。お互いに弱い者同士が支えあって生きていくのです。しかし、私は人間のこの決定的な孤独性こそが、一人ひとりの持っている人権というものであり、いかなる他者もこれに対しては、指一本も触れることはできないと思っています。たとえ血を分けた親子同士であっても、どんなに抱き合い愛し合う夫婦であっても、二人の間には越えることのできない、深い淵(ふち)が横たわっています。

 社会的には人それぞれに暮らしの違いがありますが、自分の口にご飯を運んだり、お便所へ行ったりすることは誰でも自分でしなければならないという、この当たり前のことです。どんなに偉い人でも、どんなに美しく着飾った人でも、自分の口にご飯を運んだり、お便所へ行ったりすることは、他の人に頼んでして貰うことはできないでしょう。

 ところで、人間としてこの世に生を受けることは、まったくの偶然であり、生まれたものが死んでいかなければならないことは、避けることのできない必然であります。ひとだび生を受けたものは、ちょうど火を点(つ)けたろうそくのように、どんどん減って短くなっていきます。そして人間は自分の死を恐れるあまり、なるだけ死のことは考えないようにして生きています。

 しかし、死を知っている人間だけが人生を、まるで薄氷(はくひょう)を踏むように歩むということもまた、心して聴くべき教えではないでしょうか。

(感想)
 私は以前寂しさや苦しさから、一人でお酒を飲んだり、誰かと一緒に騒いだりして、どうにか気持ちを紛らわそうとしていました。その当時は「自分をこんな辛い目にあわせて」と家族や環境を責めていました。しかし、お話にあったように、人生では独りであることからは避けられず、寂しさを紛らわせたり、周りのせいにしても、何の解決にもならないと感じるようになりました。
 
 どんなことがあっても、目の前のことから目を背けるのではなく、それと向き合う必要があります。すぐには受け入れられないこともあるかもしれませんが、その助けとして、本を読んだり、色々な方のお話を聞いたりしながら、最終的には自分の人生に自分自身で向き合っていくことが大切だと思います。

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