本読み・花びらごとにその色の光が輝く

 4月13日(土)の満福寺ヨーガ教室では、「花びらごとにその色の光が輝く」というお話に私の感想を加えてお話をさせていただきました。
(出典:『みちしるべ 正思惟』pp.150-154)

 違いを認めることはとても難しい。それは相手を認めるということである。私たちはみな、他を自分の色に染めたい。そして満足する。だからそれを拒否するような人は徹底的に排斥(はいせき)する。
 
 私はかつて、「仲間意識は仲間はずれを作る」という言葉を見たことがある。考えさせられた。

 仲の良いことは素晴らしいことである。しかしともすると、仲間以外の人をよせつけないようになりがちである。仲間は群れたがる。ここからトラブルが生まれる。

 広く知られる「阿弥陀経(あみだきょう)」には、「青い蓮には青い光、黄色い蓮には黄色い光、赤い蓮には赤い光、白い蓮には白い光」とある。それぞれの特殊性(とくしゅせい)の素晴らしさをたたえているのである。それぞれにいいのである。同じでないから素晴らしい。

 あるミュージシャンが、寺院(じいん)で謹慎中(きんしんちゅう)のことである。寺の僧侶(そうろ)にこのお経の「青い色には青い光」という話を聞いたそうである。その時このミュージシャンは「僕は僕でしかない。逃げ隠れできない。自分の色を出すしか他に道はない」と再生を誓ったそうである。

 蓮の花の花びらごとにその光が輝く。青い花には青い花でなく、青い光というところが素晴らしい。

この泥(どろ)があればこそ咲く白蓮華(しろれんげ)(遠藤太禅師)

 この苦しみがあるから楽しみがある。悲しみがあるから喜びがある。その楽しみと喜びが蓮の花が放つ光である。

自分色の人生を生きれたら素晴らしい。

(感想)
 周りの人が自分と同じ意見を持っていたり、自分の考えを理解してくれると、安心できると思います。しかし、日常生活の中では、そのようにならないこともたくさんあると思います。そんな時でも、「自分とは違うけど、こんな考え方もあるんだ。こんな人もいるんだ」と否定をせずに、違いを受け入れ、相手を認めていくことが大切だと思います。

 そして、蓮が太陽や泥があることで花を咲させることができるように、人も色んなご縁の中で生かされていることを知り、その中で自分色を見つけていくことが大切なのだと思います。

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